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小玕齋

小玕齋(本名成年、1919年―2004年)

琅玕齋次男。幼少より画家を志し、東京美術学校(現東京藝術大学)油絵(洋画)科藤島武二教室を卒業。第二次大戦復員後、長兄幹雄の他界に伴い画家の道を諦め、琅玕齋の厳しい指導を受けた。昭和23年の初入選を皮切りに二十二年間日展を舞台に活躍した。「点・線・面」の理論などを軸に、壁面装飾、照明器具等、金属、アクリルなどの異素材と組み合わせた作品を含む多様で斬新な作品を発表したが、次第に「竹の素材の持つ必然性」と、工芸の「用」の問題に直面し、四年間の沈黙の後、昭和49年、日本伝統工芸展発入選、文部大臣賞受賞、その後二十九年間日本工芸会木竹部で重責を務めた。昭和54年より、三年にわたり、宮内庁委嘱により正倉院宝物竹工品調査委員を務めた。
自宅工房にて 撮影三井通雄
自宅工房にて 撮影三井通雄


この調査は小玕齋にとって、竹の真価を改めて認識する機会となった。
昭和57年、六十三歳で、九州の生野祥雲齋に続き、史上二人目の重要無形文化財「竹工芸」保持者に認定された。

その作品は、気品と格調を重んじ、琅玕齋同様、真・行・草を基本とした。 琅玕齋から継承した竹刺編を完成させ、また束編、氷烈編など多岐にわたる技法を駆使し、「竹工芸」を日本の伝統美の表現の極致へと高めた。

また、欧米に於いて、指導、実演等、今日の日本伝統工芸普及の初期活動の一翼を担った。


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